鹿児島に行ってきました 西郷隆盛終焉の地を巡る編 [旅行]
「おいが西郷隆盛でごわす」
どーんと乱暴に西郷さんの銅像からスタートいたします!
今年の夏休みは、鹿児島をめぐる旅にしてみました。
まずは来年の大河ドラマ「西郷どん」を先取りして、鹿児島市の
城山周辺にて西郷隆盛終焉の地を回りました。
1828年、鹿児島市内加治屋町に西郷隆盛は下級武士の子として生まれ
ました。生誕の地は現在公園となり、石碑が建てられています。
このエリアは大久保利通など、幕末に活躍した偉人達を多く輩出され
ました。この近くには「維新ふるさと館」という資料館があり、明治
維新など薩摩藩の英雄達の活躍を分かりやすく展示しています。
ここからは「鹿児島ぶらりまち歩き」というボランティアガイドさん
を申込み、城山周辺をガイドしてもらうことにしました。
こちらは城山頂上から望む桜島。
1877年に国内最大で最後の内戦である、西南戦争が起こります。
この城山は西南戦争最後の戦場であり、薩軍を率いた西郷隆盛終焉の
地であります。
1877年9月1日、追い詰められた薩軍は鹿児島に戻り、ここ城山に本陣
を構え迫りくる政府軍の攻撃に備えました。
城山の公園駐車場近くに、西南戦争薩軍本営跡の石碑があります。
次第に政府軍の攻撃も激しくなり、西郷ら薩軍は山を少し下った岩崎谷
に洞窟を堀り本陣を移します。
西郷が最後の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われてます。
実際に目にすると、その洞窟は小さなもので、薩軍が窮地に立たされて
いた状況がひしひしと伝わります。
9月24日、政府軍は薩軍に対して総攻撃を開始します。戦力差は薩軍が
約300名の兵力に対し、政府軍は約5万人。
死を覚悟した西郷は早朝に岩崎谷を下ります。洞窟を出てわずか300m
のところで被弾し、歩けなくなります。
そして別府晋介の介錯をあおぎ、49歳の生涯を閉じました。
その場所にはこのように石碑が立っています。
ガイドさんのお話では、石碑の位置よりももう少し高い場所が本当の
終焉の地かもしれないとのことでした。
その後、西南戦争の弾丸跡が残る鶴丸城に向かいました。
政府軍の凄まじい攻撃の跡がいまも生々しく石垣に残されています。
140年前にあったこととはいえ、この市街地でこれだけ激しい戦争が
行われたことが信じられません。
明治維新では官軍として戦い、西南戦争では賊軍となり政府軍に敗れた
西郷隆盛。 時代の変革時期に翻弄されたその壮絶な人生の一部を垣間
みれた気がして、ちょっと目頭が熱くなりました。
さて、城山を巡りすっかりお腹も減ったので、天文館にあるうなぎ屋
「末よし」に向かいました。
知らなかったのですが、鹿児島は養鰻生産高全国一の鰻王国なんです。
こちら「末よし」の蒲焼も身が柔らかく、皮はパリパリの最高の焼き具合。
うな重の松を頼んだのですが、このボリュームで2,760円!
ご飯と鰻が分かれているお重も初めて。安くて本当に美味しかったです!
観光客よりも地元の常連さんが多く、愛されてるお店って感じも良かった
です。
お腹も心も満たされ、大満足。
さて、次はフェリーで対岸の桜島に向かいます。
鰻のあと、天文館「むじゃき」にて本物の白熊(かき氷)食べました!
どーんと乱暴に西郷さんの銅像からスタートいたします!
今年の夏休みは、鹿児島をめぐる旅にしてみました。
まずは来年の大河ドラマ「西郷どん」を先取りして、鹿児島市の
城山周辺にて西郷隆盛終焉の地を回りました。
1828年、鹿児島市内加治屋町に西郷隆盛は下級武士の子として生まれ
ました。生誕の地は現在公園となり、石碑が建てられています。
このエリアは大久保利通など、幕末に活躍した偉人達を多く輩出され
ました。この近くには「維新ふるさと館」という資料館があり、明治
維新など薩摩藩の英雄達の活躍を分かりやすく展示しています。
ここからは「鹿児島ぶらりまち歩き」というボランティアガイドさん
を申込み、城山周辺をガイドしてもらうことにしました。
こちらは城山頂上から望む桜島。
1877年に国内最大で最後の内戦である、西南戦争が起こります。
この城山は西南戦争最後の戦場であり、薩軍を率いた西郷隆盛終焉の
地であります。
1877年9月1日、追い詰められた薩軍は鹿児島に戻り、ここ城山に本陣
を構え迫りくる政府軍の攻撃に備えました。
城山の公園駐車場近くに、西南戦争薩軍本営跡の石碑があります。
次第に政府軍の攻撃も激しくなり、西郷ら薩軍は山を少し下った岩崎谷
に洞窟を堀り本陣を移します。
西郷が最後の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われてます。
実際に目にすると、その洞窟は小さなもので、薩軍が窮地に立たされて
いた状況がひしひしと伝わります。
9月24日、政府軍は薩軍に対して総攻撃を開始します。戦力差は薩軍が
約300名の兵力に対し、政府軍は約5万人。
死を覚悟した西郷は早朝に岩崎谷を下ります。洞窟を出てわずか300m
のところで被弾し、歩けなくなります。
そして別府晋介の介錯をあおぎ、49歳の生涯を閉じました。
その場所にはこのように石碑が立っています。
ガイドさんのお話では、石碑の位置よりももう少し高い場所が本当の
終焉の地かもしれないとのことでした。
その後、西南戦争の弾丸跡が残る鶴丸城に向かいました。
政府軍の凄まじい攻撃の跡がいまも生々しく石垣に残されています。
140年前にあったこととはいえ、この市街地でこれだけ激しい戦争が
行われたことが信じられません。
明治維新では官軍として戦い、西南戦争では賊軍となり政府軍に敗れた
西郷隆盛。 時代の変革時期に翻弄されたその壮絶な人生の一部を垣間
みれた気がして、ちょっと目頭が熱くなりました。
さて、城山を巡りすっかりお腹も減ったので、天文館にあるうなぎ屋
「末よし」に向かいました。
知らなかったのですが、鹿児島は養鰻生産高全国一の鰻王国なんです。
こちら「末よし」の蒲焼も身が柔らかく、皮はパリパリの最高の焼き具合。
うな重の松を頼んだのですが、このボリュームで2,760円!
ご飯と鰻が分かれているお重も初めて。安くて本当に美味しかったです!
観光客よりも地元の常連さんが多く、愛されてるお店って感じも良かった
です。
お腹も心も満たされ、大満足。
さて、次はフェリーで対岸の桜島に向かいます。
鰻のあと、天文館「むじゃき」にて本物の白熊(かき氷)食べました!
いろいろブログを見ていますが鹿児島の紀行記事は珍しいので参考になりました。 何故かうなぎが安くてびっくりですね。
by conta (2017-08-06 00:30)
conta様 NICE&コメントありがとうございます♪
確かに、周りでも鹿児島に行った人は少ないですね。我々も今回初めて鹿児島を巡りました。鰻も美味しいですし、ほかにも鹿児島黒豚やカンパチなどなど美味いもの天国なんですよ!
by robert (2017-08-11 20:29)
はじドラ様 NICE!ありががとうございます♪
城山は鹿児島市内の小高い山で、頂上の公園には多くの人が訪れ市民の憩いの場所となっています。市街地まで降りる遊歩道を歩くと、クスノキの大木などが見られ、とても自然豊かなエリアです。
by robert (2017-08-11 20:38)
middrinn様 NICE!ありがとうございます♪
鶴丸城の石垣に残る弾痕を見たときは、その凄まじさに圧倒されました。実はこの石垣、実際戦闘があった場所から道路拡張工事の際に数メートル移動させられたそうです。
by robert (2017-08-11 20:44)
@ミック様 NICE!ありがとうございます♪
宿泊は「城山観光ホテル」に泊まったのですが、こちらのホテルはスタッフのサービスがとてもきめ細かく快適に過ごせました。また、朝食の「鯛茶漬け」が最高でした!
by robert (2017-08-12 10:57)
鉄腕原子様 NICE!ありがとうございます♪
「鹿児島ぶらりまち歩き」のボランティアガイドは他にもコースがあり、明治日本の産業革命遺産「集成館」の紹介や、近代日本を築いた偉人たちの誕生地を巡るコースなど16のコースがあります。
by robert (2017-08-12 11:06)
ネオ・アッキー様 NICE!ありがとうございます♪
ここでは紹介しませんでしたが、鹿児島市内のとんかつ屋さん「川久」はとても美味しいです!頂いたのは鹿児島黒豚のロースとんかつでしたが、脂がとろけて激ウマでした。
by robert (2017-08-20 13:19)
coregar様 NICE!ありがとうございます!
「末よし」では嫁がうな丼を食べたのですが、こちらもボリュームがたっぷりで美味しかったそうです。うな丼も松竹梅があり、お値段はうな重と同じです。
by robert (2017-08-20 13:45)
笠原嘉様 NICE!ありがとうございます!
鹿児島市内には様々な維新にかかわる偉人の銅像があります。その中でも人気なのはやはり、西郷隆盛と島津斉彬のお二人のようです。来年の大河ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。
by robert (2017-08-20 14:15)